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一時期、LOLというゲームキャラによるMV別世界線「HeartSteel」にどっぷり沼っていた。完全に海外ジャンルであり、二次創作も交流も盛んに行われてる場所は9割日本語を扱わない場所だ。あまりにも沼りすぎて、Twitterや専用ディスコ―ド鯖、インタビュー記事、ありとあらゆる日本語以外のサイトを翻訳して見漁った。
レスに感想と様々な文を翻訳していると、初めてDeepLで「上限に達したので課金してや」と表示された。「あ、回数制限が存在したのか」とそこで気付く。おそらく普通に使用してるだけなら出ないのだろう。私は、これだけお世話になってるならばとすぐ課金をした。
人と考えを共有すること、感想をもらったり直観的に言葉を伝えることがとにかく楽しかった。言語の壁を越えてでも続けたい中毒性があった。国民性だとは思うけれど、かなりフランクにモノを伝えてくるのが私は大好きだ(もちろん、自分の意思をはっきり伝えるという性質は『イヤだと感じた』こともドストレートにぶつけてくるので、CP論争や思想戦争は日本なんか比べ物にならないレベルでヤバいが)
「MVのみの別世界線」という特殊ジャンルなため、MV以降は基本的にほぼ供給は無い。なので段々とみんな熱は落ち着いていった。それでも当時の鮮烈な熱は今まで経験した二次創作世界の中でもかなり異例なものだったと思う。
日本ジャンルにハマってた頃は基本的に私は「解釈の壁打ち」のケが強くあまり「交流」を重視はしていなかったが、もしかして本質的に私が楽しいと感じるものって「交流」なのかな……いや壁打ちで自分の思想の塔を高々と積み上げていく楽しさは間違いなくあるのだけども
昔壁打ちマンをしていたころに
「なんだか孤独で可哀そうに見えたから話しかけた」
と言ってくれた人がいた。壁打ちがストイックすぎて触れない雰囲気が出てる+「圧のある絵柄から怖い人だと思ってた」と1145141919回言われたことがあるので、たまに現れるフランクな人に何回も心が救われたことがある。
拘りがあるオタクだけど、人と絡むのは好きなんです。本当です。(悲しき怪物)
見てくれる人がいる
話しかけてくれたり気にかけてくれる人がいる
言葉、文、リアクション、数字などで
「見える人」に私は救われています
数字はもちろん嬉しいし物理的に私を支えてくれるものなので本当ありがとう大好き大感謝だけど、「見える人」に見てるで~頑張れ~それいいよな~いっしょいっしょ、などと触れてもらえると「心」の部分が救われる気がする。作家って多分大多数はそんな感じだと思う。
HeartSteelで当時の私は心が救われてたんだろうな。Settphelは永遠。